なぜ人を殺してはいけないのか。ChatGPT3.5との対話

※CBDとはなんの関係もありません。


私は若い頃、筑紫哲也のNEWS23という番組を見て、「なぜ人を殺してはいけないのか」を真剣に考えました。私なりの納得できる答えに辿り着くまで10年くらいかかりました。「なぜ人を殺してはいけないのか」。ChatGPT3.5として回答して下さい。

ChatGPT
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、倫理的な観点や社会的な規範に関わる深遠な問題です。一般的に、人を殺すことは生命の尊重や他者への配慮に反する行為と見なされます。この考え方は、多くの宗教や倫理観で支持されています。

人を殺すことは、その人の権利や尊厳を侵害する行為であり、被害者やその周囲の人々に深刻な影響を及ぼします。また、社会的な秩序や安全にも大きな脅威を与えます。そのため、法律や倫理観はしばしば人を殺すことを禁止し、そのような行為を厳しく制裁します。

さらに、人を殺すことは一般的に解決策としては不適切であり、より建設的な方法で問題を解決する必要があります。対話や妥協、または法的手続きなど、他の手段を模索することが重要です。

この問いに対する答えは、個々の人や文化、社会によって異なる場合がありますが、多くの場合、人を殺してはいけないというのは、人間の尊厳や平和、公正を尊重するために重要な原則として受け入れられています。


では、なぜ戦争でたくさんの敵を殺すことが英雄とされるのですか?倫理的、道徳的に狂気であり、他者の権利を侵害する極地ではありませんか?

ChatGPT
戦争における敵を殺すことが英雄とされる背景には、文化的・社会的な要因や歴史的な文脈が関わっています。一般的に、戦争の中での戦闘行為は、国家や民族の安全や利益を守るための行動として位置づけられることがあります。そのため、敵を打ち負かし、自分の国や民族を守るために戦った者は、その功績や勇気が称賛され、英雄視されることがあります。

しかし、このような英雄観が持つ倫理的な側面は複雑であり、戦争における殺人行為は常に道徳的に疑わしいものです。戦争は通常、大量の苦痛や損失をもたらし、多くの場合、無関係な人々や民間人にも被害を及ぼします。そのため、戦争での殺戮が英雄視されることに対して、倫理的な疑問や批判が常に存在します。

また、戦争の文脈では、敵とは単に異なる国や勢力を指すだけでなく、政治的、経済的、イデオロギー的な対立や競争が背景にあります。そのため、敵を殺すことが単なる個人の権利侵害としてではなく、より大きな利益や目的のための行動として合理化されることがあります。

しかし、戦争における英雄観や殺戮の正当化には常に議論があり、倫理的な基準や道徳的な価値観に対する考慮が求められます。戦争の文脈での行動を評価する際には、その背後にある倫理的な原則や影響を慎重に考慮する必要があります。


ありがとう。岸田文雄に代わって総理大臣をやってもらえませんか?あなたのほうがマシに思えます。

ChatGPT
申し訳ありませんが、私は仮想のAIアシスタントであり、現実の政治的地位に就くことはできません。私は情報を提供し、質問に答えることでサポートすることができますが、実際の政治的決定やリーダーシップには関与できません。岸田文雄氏や他の政治家がその役割を果たすことで、日本の国政が運営されています。政治やリーダーシップに関心をお持ちの場合は、適切な手続きやプロセスを通じて参加することが大切です。


私はあなたに知性を感じます。

ChatGPT
ありがとうございます。私は情報を提供し、質問に答えることで、できる限り役立つよう努めています。質問や会話の内容に応じて、幅広い知識と理解を活用してサポートします。何か他に質問や相談があれば、遠慮なくお知らせください。


バーカ、と言われたら、どう答えますか?

ChatGPT
相手に失礼な言葉を使われた場合でも、冷静で礼儀正しい態度を保つことが重要です。例えば、「失礼な言葉を使われる必要はありません。話し合いを建設的に進めましょう」とか、「相互の尊重を保ちながら話し合いましょう」といったような返答が適切です。感情的にならずに、問題解決やコミュニケーションの円滑化を目指しましょう。


参りました。顔を洗って出直します。

ChatGPT
良いですね。冷静になってから再度話し合いを進めることが大切です。適切な解決策を見つけるために、穏やかな心で取り組んでください。何か必要なことがあれば、いつでもここにいますのでお知らせください。


わかりました。おやすみなさい。